アニメの歴史

世界編

アニメーションは、セル画によるものだけでなく、人形やCG、スライドによるものを含む。
1902年のメリエスの『月世界旅行』の最後の、ロケットが港に戻るシーンで、すでに切り絵アニメーションが用いられ、これが映画のコマ撮りによるアニメーショントリックである。

作品としては、1892年にフランスで作られたエミール・レイノーの『哀れなピエロ』(原題:Pauvre Pierrot)を初めとする一連の作品がある。
しかし、レイノーの作品は純粋な意味での映画ではなく、テアトル・オプティークと呼ばれるゼラチンフィルムに別々に描かれた手書きの人物と背景をプロジェクターで同時にスクリーンに投影する装置によって上映されていた。他にアメリカのジェームズ・スチュアート・ブラックトン監督による『愉快な百面相』などがある。
これは黒板に白チョークで描く実写と、そのコマ撮りを組み合わせた線画アニメであり、
この最後のピエロの部分では白い枠線の切り絵がチョークアニメーションと組み合わされて用いられている。
またアメリカでは1928年から『アメリカン・アニメーションの黄金時代』が始まっている。

ファンタスマゴリー世界最初の実写部分を含まない純粋な短編アニメーション映画は、
フランスの風刺画家エミール・コールによる『ファンタスマゴリー』(1908年、原題:Fantasmagorie)である。
以後、数年間でアメリカおよび映画発明国フランスで線画アニメ映画の製作が盛んになった。
世界初の純粋長編アニメーション映画は1917年にアルゼンチンのキリーノ・クリスティアーニによって製作された。

1914年にセル画によるアニメーション技術がアール・ハードによって開発、特許申請される。
しかし、当時、一般には、背景を印刷した紙にペン描き、というのが、一般的だった。
また、アルゼンチンやドイツなどでは、切り紙や人形アニメが盛んに創られていた。

アジアでは1941年に中国において万籟鳴と万古蟾の監督で公開された『西遊記 鉄扇公主の巻』がアジア初の長編アニメーション映画とされる。
1942年には戦時下の日本に輸出され、当時16歳の手塚治虫に影響を与えると共に、海軍省に長編アニメーション映画『桃太郎 海の神兵』(1945年)を制作させる動機となった。

日本編

日本では大正期にかけて外国から輸入されたアニメーション映画の人気を受けて製作された。
下川凹天、幸内純一、北山清太郎の3人がそれぞれ別個にアニメ作品の製作を手がけ、時期的にも同時期だったため、3人のいずれもが日本のアニメの創始者と位置付けられている。
3作品はいずれも1917年に公開されたが、現存するのは幸内純一の『なまくら刀』のみである。

諸外国と同じく当初作られていたアニメは数分程度の短編映画が多かった。
作り手も個人もしくは少人数の工房での家庭内手工業に準ずる製作体制で、生産本数も少なく、生産の効率化を可能とするセル画の導入も遅れていた。
1930年前後にセル画が使われ始まるまでは、日本では、フランスなどと同様、切り絵によるアニメが主流であった。

太平洋戦争を迎えると、戦意高揚を目的とする作品が制作され瀬尾光世監督による日本初の長編アニメーション『桃太郎の海鷲』(1942年)が生まれ、
1945年には松竹動画研究所により『桃太郎 海の神兵』が産み出された。
この時期軍部が提供した潤沢な予算は技術力の向上に繋がったとの評価がある。

戦後、東映は1956年に日本動画社を吸収合併しアニメスタジオ「東映動画」を発足。
1961年には手塚治虫が「虫プロダクション」を発足させた。
東映動画は劇場用アニメーション映画の製作を開始し、日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』(1958年)が制作され「東洋のディズニー」を目指した目論見通りに海外へも輸出された。
一方虫プロダクションは日本で最初の本格的連続テレビアニメ『鉄腕アトム』(1963年)と それに付随する日本初のテレビアニメからの長編アニメ映画『鉄腕アトム 宇宙の勇者』(1964年)を製作している。

テレビアニメの始まり

1953年にテレビ放送が始まると、番組内の一コーナーでアニメを使用する番組が作られたが、一回の放送も数分程度のものが多かった。
テレビCMにも盛んにアニメーションが用いられるようになり、後のエイケンのTCJや漫画家の横山隆一の「おとぎプロ」が制作に携わっている。
また同年に日本初のフルコマ撮り人形アニメ『ほろにが君の魔術師』が持永只仁、川本喜八郎らの手によってCMとして制作されている。
1960年1月15日に30分番組として一回放送された『3つのお話』(NHK)は、実際は中村メイコのトークや実写を交えて3つの童話をアニメ化したものだが、
恐らくはアニメを主目的にした番組では日本初だろう。
この時代に始まった短いアニメを利用した番組は、『みんなのうた』(NHK、1961年放送開始)がある。
同年、おとぎプロ制作による日本初の連続短編テレビアニメ『インスタント・ヒストリー』がフジテレビで放送された。
だが、新聞のラジオ・テレビ欄には読売が毎回載せ、朝日が数回載せた他は、毎日、日経は掲載しなかった。
さらに、アニメーションは長い制作期間と制作費がかかるというのが当時の映像業界の常識であり、
『ポパイ』・『恐妻天国(後に『原始家族』として再放映)』・『宇宙家族』などNHKと民放とを問わず海外のアニメが盛んに放送される中、
日本では本格的なアニメ番組を制作しようというテレビ局は現れず、1963年の鉄腕アトムを待たなければならなかった。

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